■香港家族一時帰国・榮子ちゃんの七回忌法要(2023.1.5)
●2022年12月18日から三年ぶりに香港家族一時帰国して、2023年1月2日まで家族生活を楽しみました。2022年12月25日には、榮子ちゃんの七回忌法要を清泰寺で家族全員14名で行いました。皆さんと一緒に法要が出来て大変良かった。法要の後は、自宅で薪ストーブを囲んでバーベキューしました。有難うございました。(動画制作者小原昭治約17分間)
■46年間共にした妻「小原榮子の思い出」
●小原昭治・栄子の思い出DVD(この動画は3時間半と長時間です)
小原昭治・栄子が結婚する以前から栄子の父親(関本善三)が8mmフイルムで撮影した内容から小原昭治が8mmビデオで撮影した動画を2010年6月5日に編集しました。
●下記の「榮子ちゃん46年間ありがとう」思い出写真集・「関本善三・芳子の思い出写真集」・「小原榮子の葬儀」の写真は2021年12月6日のたち日(他界して5年目)に追加しました。
■「栄子ちゃん46年間ありがとう」思い出写真集( 昭和45年1970)~平成8年(2016)
■関本善三・芳子の思い出写真集(芳子お婆さんの一周忌法事 平成8年1月)
■小原榮子の葬儀(享年70歳)
平成28年12月6日死去・通夜11日、告別式・納骨12日

■ご挨拶(通夜・告別式に参列頂いた方々に配布した内容)
小原榮子の通夜・告別式に参列して頂きありがとうございます。
本来ならば、通夜・告別式の場でお話しする内容ですが、泣き虫の昭ちゃんは、お話ができないと思い下手な文書ですが、時間が有りました時に読んで頂ければ幸いです。
私たちの夫婦の出会いから他界した12月6日の様子をご説明致します。
私達夫婦の最初の出会いは、小原歯車工業㈱の切削工具関係で取引がありました、不二越工具社の茶山・瀬戸様が、お世話になっていたナチ精工社長関本善三様の長女関本榮子さんのお見合い相手を探していましたら、小原昭治が一候補に推薦され、お見合いを昭和45年9月31日に行い、11月1日に結婚式を行いました。
1ヶ月足らずで結婚できたのは、私は数回のお見合いで相手から断られる事が多く、榮子さんと見合いも断られると思い、趣味のスキー・食べ物・スバル自動車(榮子さんは結婚以前にスバル販売店に勤務)の話しをしている内にお互いに本音で話しができる様になり、昭治の嫁さんは関本榮子さんに決め、強引に結婚を申し込みました。
結婚後は、鳩ヶ谷に新居を構えて新婚生活を楽しみました。翌年妊娠しましたが、早産で多量の出血、輸血を行い榮子ちゃんの命も危険な状態でした。赤ちゃんは4日後に死去。その時の輸血が原因と思われるC型肝炎ウイルスに感染、30年後に発病、治療に専念しましたが帰らぬ人になりました。
結婚7年後長男光浩誕生、その後次男泰宏、三男吉広と3人の子供に恵まれ子育てを楽しみました。平成元年に野田市に住居を変えて、子供達3人は独立・結婚、現在では5人の孫に恵まれました。
現役の頃は、榮子ちゃんは会社PRのダイレクトメールの宛名書き、会社のイベントに豚汁を提供等して、私の仕事を側面から応援してもらいました。人付き合いが上手で、野田に来ても多くの友達とお付き合いをしておりました。
時々入院した時も退院時には、数人と友達になり、その後もお付き合いを続けていました。結婚当時から倫理研究所の活動を始め、相談士の資格を得て、講師として活躍もしていました。ここ2年ほどは、持病の肝臓障害と膝関節の痛みが発生して、好きな海外旅行・国内の旅行が減り、お人形作りで家にこもる時間が多くなっていました。
C型肝炎ウイルス治療でインターフェロン・新薬投与を2回行いましたが
ウイルスを死滅できず、テレビで宣伝している新薬C型肝炎治療薬も血液検査の数値が良くならず新薬の治療はできませんでした。
11月1日(結婚記念日)に40℃の高熱と下痢になり、翌日に数年前から外来に通っている新宿区の東京女子医大病院で診察を受け、血液検査の結果、肝臓・腎臓障害で緊急入院しました。
入院時から点滴治療を受け、腹水が溜まり、透析治療を受ける様になり、殆ど口からの食べ物が入らず、痛みをこらえながら治療を受けていましたが、血液中にアンモニアが多くなり、意識が無くなる事が多く発生しました。
12月5日の透析後も殆ど意識が戻らす、痛がる状況が続き、担当医に痛みが緩和する治療にして頂く様にお願いしました。
5日の夕方からは呼吸が荒くなりましたが、痛みを訴える事も少なくなり6日の明け方、午前5時半に眠るように息を引き取りました。
11月2日から毎日病院に通い、時にはベットの横で朝まで二人で話しをしました。お互いに涙を流しながら「昭ちゃんと結婚して良かった、榮子ちゃんと結婚して良かった」と言いながらお別れの話しを多く出来ました。
又、子供達夫婦もお見舞いに来て、栄子ちゃんと話しが多く出来ました。35日間の痛い日々を過ごしたことは辛かっただろうと今でも思いまが、結婚から46年間を振り返る良い日々を過ごすことができました。
私は、二年前からパソコンの前にいる時間が長く、榮子ちゃんと話をする時間をもっと多く取れば良かったと反省してます。
今回の通夜・告別式は、家族葬を採用した事は、榮子ちゃんの母親が亡くなった時に家族でゆっくり母親の話しができて良かったことを参考にしました。
榮子ちゃんのお友達には、死去した事は連絡せずに通夜・告別式を行うことにしました。
参列者の皆さんで榮子ちゃんと過ごした日々の思い出をゆっくり話しができる通夜・告別式にして頂き、時には笑いも有っても結構です。
一方的な思いを書かせて頂き申し訳ありませんでした。
私は、第4人生をどのように過ごして行くか、これから良く考えて決めます。
是非、寂しがりやの昭ちゃんですので、お声を掛けて頂き、メール・ライン等で送信して頂ければ幸いです。
今後もお付き合い程、宜しくお願い申し上げます。
平成28年12月10日 小原 昭治